Mag-log inスマホの画面が暗くなった。 そこに映った自分の顔を見て、ようやく、ひどい顔をしていることに気づいた。 今すぐ誰かと繋がりたかった。 今日あったことを話して、どうでもいいことで笑って、眠る前に「おやすみ」って言いたかった。 ホテルの部屋は綺麗だった。ご飯もおいしかった。 それでも、夜になると寂しかった。 ひとりって最高だと思ったのも、本当だったのに。 「……めんどくさいなあ、私」 笑おうとして、うまくいかなかった。 好きなら、思いきり好きでいたい。 会いたいのを我慢して、連絡したいのを我慢して、平気なふりをしながら、ほどほどに好きでいるなんて、私には難しかった。 だから離れたのに。 離れたら離れたで、こんなに会いたい。 私はスマホを握ったまま、歩き出した。 帰ったら仕事をしなきゃ。これからの収入も、生活も、ちゃんと考えなきゃいけない。 いつまでもホテルに泊まって、おいしいものを食べているわけにはいかない。帰る日は来るし、支払いだって待っている。 考えただけで、気が重くなった。 前は、もうひと踏ん張りすれば会いに行けると思うだけで、仕事を頑張れた。 喜んでもらえるなら、何かしてあげたい。次はもっと可愛い服で会いたい。 疲れていても、その先に楽しみがあれば頑張れた。 自分のために頑張ればいい。 頭ではわかっているのに、その自分が今、三人に会いたがっている。 何をしているんだろう、私は。 自由になったら、やりたいことがいくらでも浮かんでくると思っていた。 でも、いざ誰と会う予定もないカレンダーを見ると、どこから埋めたらいいのかわからなかった。 私のことを待っている人がいない。 それを寂しいと思ってしまう。 必要とされると、負担だったくせに。 もう放っておいてって、思っていたくせに。 スマホを持ち直して、画面をつけた。 ここで連絡したら、きっと私は「寂しかった」と言ってしまう。 あんなに嫌だったことを、ちゃんと話すより先に。 どうしてわかってくれなかったの、と責めたい気持ちもある。でも、優しい声で名前を呼ばれたら、きっと泣いてしまう。 会いたかったと言われたら、私も、と答えてしまう。 それで満足して、また会う約束をする。 今はそれだけでいい
私はひたすら走っていた。 息が上がっても、足が重くなっても、止まりたくなかった。 止まったら、また三人のことを考えてしまう。 もう男に尽くすのはやめる。これからは自分のために生きる。 昨日までは、本気でそう思っていた。 好きなものを食べて、綺麗なホテルに泊まって、誰の返事も待たずに眠る。こんなに楽なら、もっと早く離れればよかったとさえ思った。 なのに、たった一度、夢に出てきただけで。 あいつらに会いたくなってしまった。 ……なんでよ。 あんなに嫌だったのに。もう絶対に戻りたくないって思っていたのに。自分のために生きるって決めたのに。 私ばかり予定を合わせるのも、お金を使うのも、寂しいのを我慢するのも。もう疲れたって、何度も思ったじゃない。 それなのに、どうしてまだ未練が湧いてくるんだろう。 怜が、私の作ったご飯を黙々と食べていたこと。 伊織が「先輩、ほんと好き」と、調子よく笑っていたこと。 陽向が、私の手作りのブレスレットをつけていたこと。 あのときは嬉しかった。 もっと何かしてあげたいと思った。私がこの人をいちばんわかっているんだって、少し得意にもなった。 ……あの私に、戻りたい。 ふと浮かんだ本音に、足が止まった。 そんな自分が、ものすごく嫌だった。 せっかく離れたのに。やっと自分のためにお金も時間も使えたのに。 まだ、あの人たちのために何かしたいの? また喜ばせて、それで好きって言ってもらいたいの? 膝に手をついて、乱れた息を整える。 怜、ちゃんと寝てるかな。 伊織、お金がないって、また変なものばかり食べてないかな。 陽向、二日酔いでつらくなってないかな。 考えてから、腹が立った。 私がこんなふうに心配している間、三人は私のことを考えているんだろうか。 ご飯、食べたかなとか。 ひとりで寂しくしていないかなとか。 私がいつも考えていたのと同じくらい、私のことも。 そこまで思うと、涙が出た。 私だって、してほしかった。 疲れたと言えば心配してほしかったし、会いたいと言えば、向こうから予定を空けてほしかった。 何でもいいよって笑っていたけれど、本当は何でもよくなんかなかった。 嫌われたくなくて言えなかっただけ。 会えるな
逆光の向こうに、男が立っていた。 顔はよく見えない。すらりとした長身に、隙なく着こなしたスーツ。その姿を見ただけで、胸が弾んだ。「部屋、片づけておいたよ!」 私は彼のそばに駆け寄った。「最近、仕事忙しかったでしょ。家のことまで手が回らないかなって」「ああ、ありがとう」「床も磨いたんだよ。ほら、ピカピカ!」 彼が少しでもゆっくり休めるように。帰ってきて、ほっとできるように。 そんなことを考えながら掃除した時間まで、褒めてほしかったのかもしれない。 けれど、彼の視線は私を通り過ぎ、机の上で止まった。「ありがたいよ。ただ、仕事の資料はあまり触らないでほしい」「……え?」「どこに何があるかわからなくなって、困った」 差し出しかけた手を、そっと下ろした。「ごめん。散らばってたから、まとめた方がいいかなって」「必要があって、あそこに置いていたんだ」「……うん。次から気をつけるね」 そうだ。勝手に触った私が悪い。 彼の仕事のことなんて、何もわからないくせに。 せめて明るく返そうと笑ったところで、彼が腕時計に目を落とした。「それと、今週の土曜だが。すまない、仕事が入った」「土曜日……?」「食事の約束をしていただろう」 忘れるはずがなかった。 何日も前からお店を探して、着ていく服も決めていた。久しぶりにゆっくり会えると思って、今週は仕事も頑張れた。「……そっか。じゃあ、予約、キャンセルしておくね」「ああ、すまんな」 彼はもう、スマートフォンを見ていた。 別の日にしよう、とは言わなかった。 私も聞けなかった。 忙しい人を困らせたくなかった。会いたいとせがんで、面倒な女だと思われたくなかった。「仕事、頑張ってね」 するりと出てきた声は、自分でも驚くほど優しかった。 磨き上げた床に、私の姿だけがぼんやり映っていた。 やがて、その輪郭が滲んだ。 彼も、部屋も、光の中に溶けていく。 代わりに、別のシルエットが浮かび上がった。「先輩ー。お腹すいたぁ」 甘えるような声に、私は顔を上げた。「え、また? 今日もお昼持ってきてないの?」「今月、金欠やばくて。まともに食べてないんすよ」「ええっ……大丈夫?」 慌てて、鞄の中を探る。「私のおにぎり、あげる。朝作ったやつだけど」「やった。ありがとうございます!」 彼は遠
「あれ、またいる……」 海岸沿いを走る車の後部座席で、彼は手元の資料から顔を上げた。「少し、車を止めてくれ」「かしこまりました」 黒いセダンが、静かに路肩へ寄る。 窓の向こうには、今日もあの女性がいた。 一ヶ月前、リゾートホテルの買収案件で沖縄を訪れて以来、何度も見かけている。彼女はいつもひとりで、海を眺めていた。 初めて見た日は、夕暮れの波打ち際に立っていた。強い潮風に髪を乱されても直そうとせず、ただ遠くを見つめていた。 観光客だろうか。それにしては、海を前にはしゃぐ様子も、写真を撮る様子もない。 何かを考えているような横顔が、なぜか心に残った。 次に見かけたときも、その次も、彼女は同じ浜辺にいた。 もちろん、ただ海が好きなだけかもしれない。それでも、一度だけ靴を脱いで波の中へ歩いていく姿を見てからは、ここを通るたび、無意識に探すようになっていた。「……今日は、機嫌がよさそうだな」 彼女は白い砂浜に座り、紙袋から何かを取り出していた。 丸い菓子をひと口かじり、足をぱたぱたと揺らしている。どうやら、サーターアンダギーらしい。 膝に落ちたかけらを慌てて拾い、惜しそうに見つめたあと、ひとりで笑った。 その姿に、彼の口元もわずかに緩む。 あんな顔もするのか。「社長?」 運転手に呼ばれ、彼は視線を戻した。「いや。出してくれ」 膝の上で伏せていたスマートフォンが震える。東京本社からの着信だった。 応答しようとした、そのとき。 彼女が不意にこちらを向いた。 目が合った気がしたが、外から車内は見えないはずだった。 それでも彼は、わずかに背筋を伸ばした。 彼女は眩しそうに目を細めると、また青い海へ顔を戻した。「……社長、出発しても?」「ああ」 今度こそ車が動き出す。 彼は電話を耳に当てながら、遠ざかる彼女をもう一度だけ目で追った。「明日の視察ですが、現地へは高速で向かわれますか」 通話を終えると、運転手が尋ねた。 彼は資料を開き、何でもないことのように答えた。「いや。明日もこの道でいい」
昨日の紅茶も、お菓子も、美味しかった。 部屋に戻ってからは、ジェットバス付きの広々としたお風呂に浸かった。 ベッドに寝転んで、気になっていた小説を読んで。 眠くなったところで、そのまま眠った。 そして、今朝。 小春は、一人で海を見ている。 「なんで私、あんなに愛されたかったんだろうなあ」 波打ち際で、足を止めた。 好きになると、相手のことを考えるのが楽しかった。 何をしたら、喜ぶだろう。 疲れているなら、話を聞こう。 困っているなら、助けたい。 そうして自分から差し出したものが、たくさんあった。 でも。 いつの間にか、渡したあとの反応ばかり見ていた。 嬉しそうにしてくれただろうか。 迷惑ではなかっただろうか。 これで少しは、大事にしてくれるだろうか。 足りない気がして、また何かをした。 疲れていても。 本当は、寂しくても。 「……そりゃ、しんどいよね」 三人分だったのだ。 怜の言葉を気にして。 伊織の態度を考えて。 陽向の返事を待って。 その合間に仕事をして、自分の生活も回していた。 よくやっていたと思う。 ただ、もう一度同じことをしろと言われたら。 「……今は、無理」 小春は、即答した。 誰も聞いていなかったけれど。 もっと優しくすれば。 もっと理解すれば。 相手の望むとおりにできれば。 いつか、安心できると思っていた。 けれど。 一度合わせた予定は、次も合わせられると思われた。 無理をして笑った日は、大丈夫だったことになった。 寂しいのを飲み込んだら、その寂しさは誰にも伝わらなかった。 あのとき、本当は嫌だった。 今日は、私の話も聞いてほしかった。 お金も時間も、これ以上は苦しかった。 今なら、言葉にできる。 でも、その場では。 嫌われるかもしれないと思うと、言えなくなった。 代わりに、笑った。 わかった、と頷いた。 そのくせ、一人になってから悲しくなる。 「……私も、何してるんだろう」 砂の上に、視線を落とす。 喜んでほしかったのは、本当だ。 でも。 喜んでもらったあと、自分のことも見てほしかった。 いつもありがとう、とか。 無理してない、とか。
――そして、その頃。 小春は、沖縄にいた。「はあー……極楽、極楽」 朝の海に向かって、大きく伸びをする。 どこまでも続く青。 白い砂浜。 まだ少し涼しい風が、頬を撫でていく。「……一人って、こんなに楽しかったっけ」 思わず、笑ってしまった。 昨日も楽しかった。 一昨日も、楽しかった。 誰にも会っていないのに。 好きだとも、可愛いとも、言われていないのに。 朝起きただけで、なんだか気分がいい。 ……何これ。 今までの苦労は、何だったのだろう。 今回、小春が泊まっているのは、海の見える少しいいホテルだった。 少し、というか。 予約画面を三回見直したくらいには、いいホテルだ。 支払いには、陽向のバースデーのために貯めていたお金を使った。 あの子が喜んでくれるなら。 少しでも、自信につながるなら。 そう思って、仕事を増やしてまで貯めたお金。 それが今。 ふかふかのベッドと、海の見える部屋と、美味しい朝食に変わっている。「……めちゃくちゃ、いい使い道では?」 口にすると、ますますそう思えた。 朝は、ビュッフェ。 昼間は、部屋でごろごろ。 昨日は、楽しみにしていたアフタヌーンティーにも行った。 大きな窓から、午後の日差しが差し込むラウンジ。 案内されたソファには、淡い色のクッションが並んでいた。 人の話し声も、食器の触れ合う音も、ここではどこか遠い。 席に座っただけで、肩の力が抜けた。 そして。「……え、可愛い」 運ばれてきたものを見た瞬間。 小春は、背筋を伸ばした。 三段の銀色のスタンドではない。 持ち手のついた、濃い木目の小さな飾り棚。 四角く区切られた棚の中に、お菓子が一つずつ収まっている。 丸い飾りをのせた、淡い色のケーキ。 オレンジ色に透ける、小さなグラス。 白いクリームがくるりと絞られたタルト。 下の段には、鮮やかな青いデザートまで並んでいた。 ……何から食べればいいの。 全部、可愛い。 手前の黒いお皿には、こんがり焼けたスコーン。 細い脚のグラスには、白いクリームと濃い紫色の層が重なっている。 葉っぱの形をした、繊細なお菓子も添えられていた。 小春は、いったんスマホを取り出した。 正面から、一枚。 少し斜めから、もう一枚。 紅茶のポットも入れたくて、少しだ







